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2013年 02月 18日
ゼロ・ダーク・サーティ ★★★☆☆
e0088513_22432942.jpgビンラディンを殺害したという報道が行われた後、ほどなくしてホワイトハウスの前は群衆で埋め尽くされ、歓喜に沸いた。
それを当時、TVで見ていた私は、人を殺して大勢で喜びの声を上げるアメリカ人を目の当たりにして、その野蛮さに幻滅したのを覚えている。

しかしながら、裏を返せば9.11はアメリカ人にそれだけ大きなトラウマを負わせたともいえる。

映画はビンラディン殺害直後に報道された内容と大きく変わっている部分はほとんどなく、ストーリー上の目新しさはない。

いうなれば、ドキュメンタリというより再現フィルムであるが、一番驚いたのはビンラディン急襲作戦の決定プロセスのいい加減なところである。

屋敷発見以後、いたずらに時間が何か月も過ぎていったのは伝わってきたが、作戦決行の判断の根拠に触れられていないのは全くの拍子抜けであり、愕然とした。

結局、この作戦は見切り発車だったのか。

映画の中でも急襲作戦の際には突撃部隊は屋敷で子供以外の大人を片っ端から射殺しまくる。

成人男性に対しては一発のみならず、とどめの銃弾をさらに打ち込んで絶命させている。

政府はあれやこれやと検討を重ねていたが、結局はビンラディンがその屋敷にいるという確証がないまま作戦を実行に移すという大博打を打ったというのは、現象だけを見ると復讐の狂気に狂った国が他の国で証拠のないまま人殺しをしたということだ。


約10年の歳月を対ビンラディン作戦のために捧げたマヤは、重要人物への拷問、仲間の自爆テロによる殺害といった経験をしていく中で知ってか知らずか自分自身、復讐の連鎖の中に深く組み込まれていく。

9.11に端を発するテロ事件を時系列に描くことで、マヤのみならず、それに関わる人々の変容をも浮かび上がらせていく手法はすばらしい。

何年にもわたって執拗に特定の重要人物を追い続けていくあたり、本来いかに忍耐強く地道な作業を積み上げていかなくてはならない仕事か、また、いかにそれが難しい仕事であるかがよくわかる。

ただ、ラストの彼女の涙はけしてこの長い戦いを終えたという安堵や達成感によるものではないだろう。

自分のやったことは、底なし沼のような永遠に続く復讐の連鎖に自分も足を突っ込んだ行為であり、互いに人を殺し合うことに対する深い虚無感によるものではなかったろうか。

どこにいくのか?と問われて何も答えられなかったのは、底なし沼の奥底の暗闇だけしか見えなかったからだ。

本作品の位置付けは、うがった見方をすれば、アメリカは9.11により痛手を負ったが、その首謀者に対して制裁を行い、アメリカ人の負ったトラウマに対する報復はきちんとなされたのだと声高々に宣言するものであり、それを永遠に記録に残すための映画であって、世界に知らしめるためのアカデミー賞ノミネートと思えてくる。

ノミネートという実績が残れば、簡単に忘れ去られることもなく、ことある度に人々の注目を浴びることになるだろう。

アメリカは勝利したという記念碑を残したかったのかもしれないが、忘れられない憎悪の記念碑をイスラム側に残したということにならずに憎悪の連鎖が続かなければいいと思う。
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by center_otu | 2013-02-18 22:48 | 映画


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